俺は、その全てが怖い。
ツンと鼻につく独特な匂い、キュイーンと高速回転中をキメ込むモーター音、銀色の冷酷な輝きを放ちながらシレ〜と並べられた器具たち。
「坊主憎けりゃ〜」と先人たちはウマイ事を言ったもので、正に、待合室の冷たいスリッパに足を入れればゾッとし、雑誌ラックに鎮座する「女性自身」の表紙の皇后さまを見ただけでもドキッとして心臓が爆裂寸前になるほど怯え震え上がってしまう。
そう、俺は歯医者が猛烈に怖い。
あまりにも怖いので、待合室では匂い・音・つま先の冷たいスリッパ等々が感じなくなるまでひたすら一点を集中して見つめてやり過ごし、いざ治療の際には、診察椅子の背もたれが倒れたと同時に目を閉じて一切の視覚情報の放棄を実行する。
そんでもって、瞼の裏でライトの明かりをボンヤリ感じながら「ニニンガイチ、ニニンガシ」と、九九をひたすら数えたり、遥か上空の世界を思い浮かべて「愛の人口衛星との交信」っちゅうヤツにチャレンジしたりする事にしている。
いつだったか、椅子に座る際にチラリと目に入ったスーパー可愛い「コアラちゃんタオル」の存在を知ってからは、オッサンの胸の上でそれが存分に広げられる辱めも加わり、ますます現実を見てはイケナイという恐怖に怯えるようになった。
そんな歯医者での話。
いつものように椅子を倒すと同時にピシャリと目を閉じて「担当医の家族構成&親戚との対立」を、すこぶる勝手に想像する事に集中していたのが、その日は、隣で治療中の子供がスゲェうるさかった。
「やだぁ〜、帰るぅ〜、痛いぃ〜」
と、嗚咽しながら泣きじゃくり、隣の医者&助手、母ちゃん達の必死のなだめ連合と全面抗争中。
「それじゃ、何もしないからア〜ンだけしてくれるかな?ア〜ンだけだよ」
と、素人ナンパ男優ばりの怪しい医者の問いかけにも
「口あけると息が出来ないぃ〜」
と、無邪気でも何でもないタダの嘘を、窓ガラスが揺れるほどの大声でキッチリ答える騒音少年。
そんな隣の大騒ぎに集中力をかき乱されつつも俺の治療は無事に終了し、椅子から立ち上がろうとした途端、何故か隣の子供がピタリと泣き止んだ。
その静寂を待ってましたとばかりに
「今日は隣のお子さんがお騒がせしてすみませんでした」
との、担当医と助手の謝罪の言葉。
「いや、ホントは俺も同じです。いつも、あれくらいの恐怖と戦ってるんッスよ」
と、余計な治療器具を見て怯えぬように座頭市のような薄目状態で至極クールに答えトコロ、その助手の眠れる母性をくすぐったのか
「えっ!怖かったんですか?ヤダァ〜」
と、キャッキャッと一人で大ウケのご様子。
いつもは「お疲れさまでした」の一言でその場から姿を消していた彼女も、その日は優しく俺の肩に手をかけながら待合室のドアまで開けて誘導してくれて「そんなに怖がらないでくださいね」と、半笑いの声だけ残しスタスタと診察室に戻って行った・・・。
その時、待合室には診察を待つ若い女性が二人。
さて、この深刻な状況、俺のスローハンド・キーボードさばきでウマイ事伝えることが出来ているだろうか。
その時、待合室には診察を待つ若い女性が二人。
この世の終わりの如く診察室に響きわたっていた号泣・嗚咽&叫び声がピタリとおさまったと同時に、助手に優しくその診察室から待合室へと誘導されて来たのが、座頭市ヅラの俺。
おまけに、その助手が半笑いで言ったセリフが「そんなに怖がらないで・・・」。
その後、デンタル神の悪フザケか、騒音少年は死んだのか?と思わせるほど大人しくなり、俺が会計を済ませて待合室を出るまでの間、一切泣きじゃくる声が響く事は無く、二人の女性のチラ見の回数は天文学的数字で俺へと浴びせられ
「オッサン泣くなよ、みっともない」
と、綺麗な明朝体で二人の顔に書かれているのが、薄目状態でも不本意ながらもハッキリと読み取ることが出来た。
最近、東京はめっきり冷え込み寒くなりました。
暖かい格好して風邪など引かぬようにして、しっかり歯みがきしましょう。

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