私はいつ遠近法を身に着けたのでしょうか。子供のころのことを思い出してみますがはっきりしません。小学生の割と早い時期に静物画で、周囲や背景のものとの関係をほぼ正確に描いた覚えがありますし、小6の時に授業で机上の本を一冊鉛筆で写生させられて、平行線を少し向こうに行くにしたがってすぼまるように描いたのが、少しすぼまりすぎて不自然になった覚えもあります。中2の時に街路を写生した記憶では明らかに道の両側の線や市電の線路を一点に集中させるように描いた記憶があって、あの時はすでに透視画法を大体知っていたのだなと思います。
兄や父などからのアドバイスがあったのかもしれませんし、図工や美術の先生の指導があったのかもしれません。いつのまにか身についていたものを、教師になってから生徒に教える立場になって、このブログの遠近法の章に書いたような理論に自分でまとめ上げたのでした。「地面に平行な平行線は地平線(目の高さの線)上の一点に集中するように目える。」このなかで平行線が一点に集中することも大事ですが、それ以上に「目の高さの線が地平線と一致する」ということが大切です。
西欧のルネッサンス以来の絵画においては、これが最も基本的な絵画の技術として行われて来ていて、これが無視されている絵画は児戯に等しいものとして排除されて来ました。その反動として、セザンヌ以降の20世紀絵画は表現の自由を求めて、この鉄則からの離脱を試みてきました。フォービズムやキュービズムやシュールリアリズムなどなど、ことさらこの原則を無視したような表現を試みています。
もっとも、子供の視点を維持したようなプリミティブの画家たちの中でも、有名になったアンリー・ルッソーやグランマモーゼスなどの作品をよく見ると、基本的にこの透視遠近法からあまり外れていない、つまり地平線が目の高さにあるように見える作品が多くて、やはり透視遠近法の呪縛から西欧絵画は逃れられなかったのではないかと思えてきます。だから無邪気で勝手気ままのようでいながら、彼らは画壇に受け入れられたのではないかということです。
完全に理解するまでにはいささか手間のかかる、面倒な理論という気持ちからか、これを嫌う方もいるようですが、一通りは理解しておいた方が良いと思います。これを理解するとものの考え方にも整然とした奥行のある思考法が可能になりますし、抽象絵画を描くにも、キャンバスという空間に奥行きも含めての3次元の感覚で仕事を進めることができるでしょう。

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