また、描写すると言う行為には所有欲との関係も見逃せないのではないかと思います。腹が減れば食物を求めるのは当たり前ですが、例え空腹であっても、美しい花を見ると心が和らぎ、できたらそれを自分のものにしたい、持ち帰って手元におきたいなどと言う欲求を持つのも自然のことではないですか。ただし手折られた花はすぐしおれるでしょうし、貴重な自然の破壊につながる行為だと思って実際には手は出さないということにもなるのでしょうが、そのような本能的な所有への欲求の存在は否定できなません。
花ならまだしも直接手で取ることも可能ですが、山や海などの風景となると自分のものにして持ち帰ることは不可能です。私はそのような美しいものや心に残るものを所有したいと言う気持ちの代償行動として、物の姿を描きとめると言う行為が生まれたのではないかと考えます。
そして描写するためには物の姿をより深く観察する必要が生じます。所有の欲求は深い観察と結びついて、対象との一体化へと進むのが必然のことと思えます。一体化というよりも、精神的な意味で対象を丸ごと呑み込んでしまいたいと言う欲求とでもいうべきかもしれません。呑み込んで消化して自分の骨肉の一部として留めたい。
ものを描写するという行為にはこのような所有欲や精神的な食欲の代償的な行動としての意味があると思うのです。

0