世の全ての人  コラム



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西郷隆盛氏の名言に「世の全ての人から貶されても落ち込まず、全ての人から褒められても自惚れるな」と言うものがある。つまり人なんて、それ程のものではないのだ。それこそ何事にも謙虚であれば気にもなるまい。昨日のblogでは、何となくクオリティーに関わる話になったが、品性も様々だ。映画業界を例にしたが、映画全盛期は映画俳優の事を敢えて「スタア」とした時代があった。この話は幾度となく、こちらのblogで触れているので掘り下げないが、映画が斜陽になると全ての芸能人も含めて「スター」とした。敢えて「ア」と「ー」で区別をしたが、それは映画俳優と芸能人の違いだ。しかし「スター誕生」や「君こそスターだ」と言うテレビでのオーデション番組が放送された頃には更に「スター」の意味合いが更に下がった印象がある。これは歌手の発掘だが、茶の間の価値観とでも言うのだろうか、とにかく専門的な学習を受けない素人でも、手軽に芸能人になれたのだ。だがそれが一気に(芸能人の)敷居を下げてしまった。嘗ての歌手は殆んど音大出だった。なので譜読みが出来る専門家だったが、譜読みすら出来ない人が歌手になる。淡谷のり子さんは晩年しか知らない人は、この人が世に出た時に「10年に1度のソプラノと評価された人だとは思うまい。だからこそ、1965年の『NHK紅白歌合戦』では「今の若手は歌手ではなく歌屋にすぎない」、「歌手ではなくカス」の発言で賛否両論(Wikipediaより)を巻き起こし話題となったが、言いたい事は理解出来る。では現在はどうだろう?現状は実に嘆かわしい。

なんとプロの歌手が素人とカラオケの点数を競うテレビ番組がある。然も評価も良く、視聴率も高いのだが、結果として歌手のプロ意識を下げる原因になってはいないか?私見だが、これこそ日本の音楽界のレベルの低下を見るようで参加する歌手のプライドを疑ってしまうのだ。淡谷のり子さんの事をもう少し続けよう。嘗ての流行歌の歌手は音大出の人が多いが、日本ではクラシック音楽で食う環境が悲しい程に少ないのも原因のひとつでもある。それで生活の糧として流行歌を歌わざるを得なかった。戦前は今よりもジャンル分けが厳格だったのか、東京音大では卒業生から流行歌歌手が出た場合は卒業生名簿から名を削除する程だったが、歌っている当人からすれば環境の問題。たからプライドがあった。それで東海林太郎氏が小唄歌謡を歌うのに燕尾服を着ていたが、その気持ちは解らんでもない。氏も元々はクラシック音楽家だ。

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そこで朝日新聞によるインタビュー記事だが、「余白を語る――淡谷のり子さん」(1990年3月2日)から抜粋し、引用するが、そこに淡谷のり子さんの音楽観が見える。曰く「軍歌はもちろんだけど演歌も大嫌い。情けなくなるの。狭い穴の中に入っていくようで望みがなくなるのよ。私は美空ひばりは大嫌い。人のモノマネして出て来たのよ。戦後のデビューの頃、私のステージの前に出演させてくれっていうの。私はアルゼンチン・タンゴを歌っているのに笠置シヅ子のモノマネなんてこまちゃくれたのを歌われて、私のステージはめちゃくちゃよ。汚くってかわいそうだから一緒に楽屋風呂に入れて洗ってやったの。スターになったら、そんな思い出ないやっていうの」と。思わず「ひばりさんて、そんな人だったのね?」だが、週刊誌ネタにある小生意気な若手芸能人への焼きの入れ方が実に品がないので、別にネタではなかった事が伺えて(特に驚きもしないが、)興味深い。格とはそう言うものだ。(これが神格化の代償でもある。)妙な話の枕だが、この情報社会に於て、最近の芸能人が意外と情報の重要性と言おうか、何かと勘違いした行動が元でネットでは炎上する事が多々あるので、小生なりに「一言」言ってみたいと思ったからだ。それは芸能人のTwitterやFacebook、またはSNSやInstagramの使い方だ。そこで「あの事か?」と頭に浮かぶ人は正解だが、多少はニュアンスが違うかも知れない。

では最近、なにかと炎上する、その「芸能人のTwitter」だ。敢えて十把一絡げ的な表現だが、この方が解りやすい。それは主に政府や政策、総理や各大臣への批判や個人攻撃だが、そんな芸能人達が批判されると必ず「芸能人が政治発言をしてはいけないのか?」と反論する。しかしながら芸能人には知名度があってナンボだ。発信をするには何等かの目的がある筈だ。ネット創成期の頃はホームページだの、blog等を立ち上げて、一般ユーザーなれば趣味だの、blogなれば日記代わりに利用したが、そんな時代に眞鍋かをりさんが立ち上げたblogは、それこそ明け透けな芸能人の趣味趣向が垣間見れて新鮮だったものだ。だからそれで知名度を上げようと色々な芸能人が後を追ったのだが、現在は既に飽和状態。飯島愛さんが生前、「飯島愛のポルノ・ホスピタル」なんてblogを更新していた時代とは情報量が違うのだ。然も更に手軽になった。そこで思うのは、その頃の芸能人blogと現在の芸能人が発信するTwitterやInstagramと比べ、やはり品格がある事だ。何故、今時の芸能人は思いつきで後先の事を考えないで簡単に心情を明かしてしまうのだろう?当人は単なるユーザーのつもりかも知れないが、知名度がある。なので普通は田舎の校長先生でも印象を気にするのに、知名度のある芸能人の方が御構い無しである。(過去にどこかの市議だったか、立場を忘れ、好き放題、blogで批判をしたのが原因で自殺した事件があった。)そこで「何故、芸能人がTwitter等で政治批判をすると炎上するか?」だが、知名度があるからだ。しかし自身の意見に対し、あまりにも責任が無さ過ぎる。本来なれば、そこから論争になるのだが、それが想定外の反応をする。「芸能人が政治発言をしてはいけないのか?」と。それ程の勘違いをしてるので炎上する。

松尾貴史「おやおや、自分の著書まで証拠隠滅」…菅首相、改訂版で重要部分削除に
https://www.daily.co.jp/gossip/2020/10/22/0013803569.shtml?pg=2
ブログが炎上して自殺した小泉みつお議員は一体何を書いてしまったのか?
https://gigazine.net/news/20130625-koizumi-mitsuo/

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それらの例として、ラサール石井さんや松尾貴史氏、または高田延彦氏等のどうしようもないtweetでも取り上げようかと思ったが、あまりにも低レベルなコメントばかりなので、今回は取り上げるのはやめた。

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