数えきれないほど、  独り言



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「数えきれないほど、悔しい思いをしてきたけれど、その度にお袋の「我慢しなさい」って言葉を思い浮かべて、なんとか笑ってきたんです」。これは生前、漫画家の手塚治虫さんが自らの半生を振り返った時に言ったのだが、誰でも耐えなければならない時期はあるものだ。だがそこを乗り越えると何等かのスキルが身に付いている。人生色々な事があるものだが、山あり谷ありとはよく言ったものだ。それを何度も繰り返す。悩みのない人は羨ましいが、そんな人が本当に居たら奇跡だろう。小生も「何処でやり直せたら人生が変わっただろう?」と思う事ばかりである。

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先日、思いつきで映写機のプレートを作り貼り付けた。これはCanonの「Cinestar S-400」なるサイレント映写機。フォーマットは8ミリフィルムで新旧の方式に対応しているので戦前から昭和30年代まで在ったダブル8も掛かる。面白いのがこの映写機の構造で、ノンスプロケット(駒穴を歯車で引っ掛けない方式)なのでフィルムの損傷を防げるのだ。その利点としてはフィルムが通った状態で早送りも巻き戻しも出来る事だ。駆動音も心地好い。

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こんな事が話の枕になる程なので大したネタはない。芸能ニュースでは近藤真彦氏がジャニーズ事務所を突然、退所をした途端に我慢をしていたものが爆発した感じだ。つまり氏は、この事務所では既にお荷物で、目の上のたんこぶだったのだ。これでも役員だったのは創業者が特別視をしていたからだ。思えばフォーリーブス解散後は、これと言ったものはなく、低迷期。そこで当時、子役だった現社長と共に生徒役で出演したドラマがウケた事から、後に“たのきんトリオ”としてブレイク。嘗ての男性グループを凌駕した事から再び事務所としても本腰が入った。その中のひとりが近藤氏だった訳だ。ジャニーズ事務所は渡辺プロダクションから独立してからまだ5年程度だったが、始めてヒットしたのが、その3人だった。それから売れるキッカケとなったTBSの桜中学シリーズ(金八、新八、仙八先生など)には、続々事務所所属の子役を生徒役として使い、番組終了後にブレイクを繰り返したので、益々“元祖”としての株が上がったが、そこで勘違いをしたのが近藤氏と田原俊彦氏だった。それが元で田原氏は業界から反感を買い干されたが、近藤氏は上手く事務所役員としての道が開けたようだ。そこで徐々にテレビでは見なくなった。なので本来ならば堅実に役員としての仕事をしていれば良かったのだが、創業者の(資金も含んだ)後ろ盾もあり、カーレーサーとなり、その関連の会社も立ち上げた。それを最初から見ていたのが少年隊の東山紀之氏だった。その後は割愛するが、共にジャニーズ事務所では取締役。然も近藤氏は指導員としての肩書きがあったので、「そんな人が?」みたいな思いがあったのかも知れない。しかし時を経てみると、田原氏は自力で這い上がり、事務所に甘えていた近藤氏は創業者が亡くなり、旧経営陣が退き新体制になった途端、居場所が無くなった。過保護過ぎて、人を利用する事しか出来ない者は、簡単に人望を失う。自業自得だ。

近藤真彦、ジャニーズ退所でわかった人望 間違いなく失う象徴的な仕事は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb767c08ad4bc0f42dfc735eccc1b16289ff3854

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で、今にして思えば、あの金屏風会見で潰した、当時につきあっていた若手大物歌手(この表現も野暮だが?)は研音所属だった。結果、それでジャニーズ事務所が(研音に)圧力を掛けた状態ではあったが、あまりにも露骨過ぎ、正直「あれまでする必要があったのかな?」と思う程だ。その時の近藤氏の真意が知りたい。それまでに(その女性歌手に)相当貢がせていた噂もある。(勿論、カーレースだ。)事務所自体も度か過ぎている。しかしこれでは益々近藤氏が調子に乗るのも当たり前だ。後輩にも横柄な態度にもなるだろう。だから漏れる噂も説得力がある。今や副社長の滝沢秀明氏にもそれでは下の者が不信感を抱いても仕方あるまい。古い話だが、未だに金屏風会見が引っ掛かる。(当時の近藤側のファンは「どう感じた事だろう?」と思う程だ。)なんだか「不倫を期に」だが、初めのそれは事務所が片付けたが、今回は(事務所の体制が変わり)逆に咎められた。愚かなものだ。救いようがない。

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