肩の力  独り言



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「苦労から抜け出したいなら、肩の力を抜く事を覚えなさい」。これは精神科医で随筆家の斎藤茂太(1916年3月21日 - 2006年11月20日)さんの名言。「肩の力を抜く事」とは佳く言ったものだ。確かにそんな時間は必要だ。それは(小生の場合は)趣味でもあるが、最近はレコードもオーディオ機材の点検用で、現在のそれ(カセットデッキの調子)がいまいちなので、何かと安心出来ない。それが回転ムラで、専門的に言う「ワウ、フラッター」だ。その「TEAC C-3RX」だが取り敢えずはまづまづのレベルだ。たぶんその辺の(技術的な)感覚がない人ならば普通に聴いているだろう。実際に発信音を録音してメーターのブレを見ても許容範囲なのだ。なのに好きなオーケストラ曲を録音し、聴いてみると弦楽器のピッチが怪しい。だがピッチに厳しい筈の室内楽を聴くと何でもない。もしかしたら何度も調整しているので、その辺の感覚が鋭くなり過ぎているのかも知れない。(今や耳まで測定機のような有り様では尚更だ。)だがもう1台のデッキ(TEAC A-450)で再生すると気にならない。それが不思議だ。割れ鍋に綴じ蓋だが、再生で使っているデッキは録音アンプのフィルムコンデンサーが飛んだようで録音は出来ない。早いうちに、そのコンデンサーでも交換してみよう。このデッキも結局練習機だ。

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此処でサブカルチャーについて取り上げよう。日本の漫画とアメリカンコミックの違いだ。『バットマン』や『スーパーマン』など手掛けたアメコミ界の大御所作家、チャック・ディクソン氏がYoutube動画で「漫画がアメコミを打ちまかした理由」をインタビューで答えているのだが、その分析が鋭い。ちなみにディクソン氏にした質問は、「なぜ漫画がアメコミを完膚なきまでに叩きのめしているのか、意見をお聞かせください」である。回答のみを抜粋しよう。

すると氏曰く「日本の漫画には作り手の技巧、情熱、献身が詰まっているからです。マーベルやDCにはほぼない」としており、「残念ながらアメコミにはバリエーションがなく、異なるジャンルというものが存在しません。漫画のように読者一人一人が楽しめる作品がない」と悲観している。

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そこで日本の漫画との比較だが、「漫画は魅力的で、それぞれ違う作風で、人を惹きつける面白さがあり、バラエティに富んでいます」と絶賛しており、アメコミに関しては「多くの作品が十分に練られておらず、巧く作られていません。何にでもあからさまな政治思想が盛り込まれており、変化に富んでいないのです」と。つまりプロパガンダで、米国特有の政治姿勢がアメコミに反映しているのが解る。

「それにしても」だが、流石「自由の国 アメリカ」とは佳く言ったものだ。しかしその言葉、今や皮肉にしか感じられない。この国で即座に浮かぶのが『権利』だ。だがその「権利の主張の仕方が間違っているのではないか?」と思ってしまう。それが「個人主義」で、これも何かと誤解をされやすい。日本では、そこに何故か『責任』が抜ける。「自由」と言う言葉の意味も『奔放』では話になるまい。しかしそれが日本の“戦後プロパガンダ”で、正に「GHQ政策/の賜物なのだが、そこに生じる誤解を敢えて「助長する狙いもあったのではないか?」と思う程だ。実際、戦前と戦後は、「日本人の特質さえ変わってしまった」としか思えないのだ。

バットマン作者の「漫画がアメコミを完膚なきまでに叩きのめした理由」が正論すぎる・・
http://yurukuyaru.com/archives/86255237.html

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話を戻すが、それでも残ったのが日本人の情緒で、日本の風情にも結びついていると思う。つまり「わび・さび」だ。その部分が日本の漫画にも反映している。そこがアメコミとの違いだ。更に言えば現在の漫画の源流となるのが手塚治虫さんが始めたストーリー漫画だろう。ネットでは既に過去の人で、その功績でさえも「古臭い」の一言で終わらせるが、その人なしには「鬼滅の刃」さえもない。極端な解釈かも知れないが、氏の漫画の奥深さは調べれば調べれる程に理解が出来ると思う。

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タグ: 手塚治虫




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