心配しない方が利口  独り言



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「心配しても始まらない事は心配しない方が利口だ」。これは小説家の武者小路実篤(1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)の名言だが、詩人でもあり、劇作家で画家でもあった。尚、戦前は貴族院勅選議員を務めた事もある。その名言、何処で話したものかは不明だが、とても簡潔なもので、成る程、そんな考え方なら下手に悩まないで済む。と言うのも、物事なんてものは許容範囲を越えるとどうしようもなくなるからだ。下手な考え休むに似たりである。さて今日は休みである。だがバタバタしている。退院した父の初の通院日だ。だからその辺が落ち着いてからが自由時間だ。出来る事も限られる。夜は久々に旧知の友人に会う予定もある。そんな1日だ。今日も大した話題はない。(そう言いながら興が乗ると長くもなるが?)そこで「巷では?」だが、新型コロナウィルスの感染拡大防止の為にしていた「緊急事態宣言」が解かれてからは、その活動範囲も変わるだろうが、下手に調子に乗らなければ範囲も拡がるだろう。それまでの辛抱だ。

こんな御時世に米国では暴動だ。アパルトヘイト問題は、それ程に根が深いのだ。暴動のきっかけは、白人警官が一般の黒人を抑えつけたが度が過ぎ、窒息死した事件だ。(どうせ冤罪だろう。)米国自体が『元祖』ヘイトみたいな思考なのでどうしようもないが、結局そんな国家なので、至る処にヘイトが蔓延しており、格差の原因にもなっている。当然、その影響は教育にも表れる。だから民度にも格差が表れる。言うなれば、欧米の歴史はヘイトの歴史でもあるのだ。大体、処刑方法がバラエティーに富んでいるのもヘイトありきである。振り返れば「極東軍事裁判」とて、根底にあるのはヘイトだ。国際的な日本の扱いは、所詮「イエローモンキー」である。だが欧米でヘイトの対象にある東洋人の間でもヘイトがある。それがややこしい。

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その流れでアレだが、朝日新聞の記事に「新型コロナウイルスに関する報道を巡り、テレビの情報番組で訂正や謝罪に追われる事態が相次いでいる。なぜミスは続いたのか」と問うものがあった。とても白々しい。然も検証として「元テレビ朝日のプロデューサーで上智大文学部非常勤講師の鎮目博道さんは、「テレビ業界が慢性的な人材不足であることに加え、感染拡大防止のために制作班を分けて作業人数を減らしているという事情もあるのでは」と指摘する。また、ドラマやバラエティー番組よりも制作費を安く抑えられ、視聴率も期待できる生放送の情報番組の放送時間が各局で長くなったことも現場の負担増の要因となり、「確認不足などミスが起きやすい状況が生まれている」とみる」と。よくこんな記事が書けるものだと呆れる。この記事は弁解だが、文中ではテレビ報道を例にしているが、全てが意図的。それは現場を混乱させる目的があり、成果を認めたくはない意思がある。背景にあるのは中国や韓国のウィルスへの対処方だ。しかしそれを見習うと医療崩壊を招いてしまう。だから専門家からもクレームが入った。キャパシティーの問題だと指摘されても頑として納得しないテレビ局の解説員や専門外の医者からコメントを聞くいい加減さも酷かった。これはわざととしか思えない。だからこんな他人事の記事をわざわざ上げる朝日新聞の感覚が理解出来ないのだ。参考にURLを掲載するがくだらない記事だ。

全米各地で警官隊と衝突 黒人拘束死のデモ、75都市に拡大
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060100084&g=int
コロナ禍で問われるマスコミの存在意義 「世論は自分たちが誘導」と思っているなら勘違いも甚だしい
http://www.zakzak.co.jp/smp/soc/news/200529/dom2005290004-s1.html
コロナ報道で訂正続発 増える現場負担、厳しくなる視線
https://www.asahi.com/articles/ASN5X5RSGN5VUCVL025.html

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これも関連記事だ。論者は弁護士のケント・ギルバート氏が連載している「ニッポンの新常識」からだ。此処でもウィルス関連報道でのマスコミの存在意義を説いている。それは先に上げた朝日新聞の例からも手遅れである。そこでケント氏は指摘する。「マスコミが、新型コロナウイルスの不安をあおり続けるのは、歴史上、戦争や災害、疫病といったセンセーショナルな話題が、視聴率や購読者数をアップさせてきたからだろう」と。その上で「過剰に報道することで、マスコミは本来の機能や信頼を失い、誰にも見向きされなくなってしまう」と忠告する。そこで小生も散々批判したが、ケント氏曰く「「世論は自分たちが誘導するものだ」と思っているとしたら、勘違いも甚だしい。ワイドショーでは、専門家でもないコメンテーターに感情論を語らせて、政府・与党批判を繰り返していた。偏った左派メディアの報道姿勢にはうんざりする。日本で目にすることはほとんどないが、異なった意見を国民の前に提示する、本物の報道をしてほしい」と。当たり前だ。

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ひとつ上手であれば  独り言



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「何でもよい、ひとつ上手であればよいものだ」。これは司馬遼太郎の歴史小説『峠』で有名な江戸時代末期(幕末)の武士である河井継之助(文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日))の名言。人には何かひとつ位は取り柄があるもの。それでどうにかなるものだ。なので仕事で活かせれば、一生の宝だが、別に趣味のような好きな事で活かせても宝物だと思う。blogの枕でも紹介してるが、それは文系でもあり、工業系でもある。だから今にして思えば「よくこんなもん作ったな?」てな物もある。だが必要に迫られる(?)と作るものだ。買った方が早い物もあるが、小生は(その)工程に価値観を見い出しているので、寧ろ手を掛ける方が面白い。だから音楽も単にレコードを聴くだけではなくて、一歩踏み出したいので、趣味系のblogでは解説文みたいな状態だが、そこも性格が災いし、凝ったものになっている。しかし結局は自己満足の為にしている。大体、blogなんてやっている人は、そんな感じではなかろうか?これとて「誰が読んでいるか?」と言う事には、あまり言及する事もあるまい。要するに自身の心理状態の記録みたいなものなのだから。画家のモネは、細かく木の枝を描いてる時に「そんなに木の枝を細かく描くのは大変じゃないですか?」と聞かれると、「なに馬鹿な事を言ってるんだ。画家はそんな木の枝を一本、一本描くのが絵の醍醐味なのだ!」と。つまり小生のしている事も、本質はそこにある。その面倒が楽しいのだ。人には何かひとつ位は取り柄があるもの。活かさない手はない。

さて新型コロナウィルスによる『緊急事態宣言』が解除された事から徐々にでも、外で済ます用事もある。しかしウィルス対策は怠る訳にはいかない。なので自主制限はあって然るべきである。出来るものから手をつけよう。話は変わるが「悪夢の民主党政権」崩壊後は国民の期待もあり、色々な事を解決した自民党政権である安倍内閣だが、トータルで評価すると、かなり現状とのギャップがある。確かに民主党系政党等の特定野党の横槍もあるが、「もう少し」と物足りない。と言うのも民主党政権時代は保守層への旗振り役だった一面もあるからだ。

そんな事を思っていたら週プレNEWSにこんな記事。これは『週刊プレイボーイ』で国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソン氏が連載している「挑発的ニッポン革命計画」からだが、なかなかタイムリーな記事だ。それは「保守ブームの終わり」と題してある。なかなか興味深いので取り上げるが、文章は「コロナ問題がなければ東京五輪後に見るはずだったものを今、われわれは見ているのかもしれません」との文章で締められている。そこを先に紹介したのは、正にそんな状態だからだ。振り返れば、前政権を担った民主党の失政の為に当時の現状を打開する人物が保守層の国民から求められたのだが、いつの間にか安倍晋三待望論がネットで上がるようになった。(それはインターネット上で沸き上がったように思える。)その安倍晋三氏とて派閥が持ち上げたのだろうが、第2次安倍内閣は結果としてベストメンバーだったと今にしても思う。(別の見方をすれば、多少の落ち度があっても前政権の酷さから欠点は目立たなかった。)そこでモーリー氏の解釈だが「これまで安倍首相は"強いリーダー"を演出し続けてきましたが、実際にそこにあったのは強い意志ではなく、「なんとなく」さまざまな周囲のステークホルダーや"仲間"の都合を優先しつつ、「なんとなく」理想的な日本像とされるものに向けて共同幻想を形づくり、「なんとなく」進んでいただけだったのではないか。そのように感じられるのです」と指摘する。その上で「五輪成功の先には輝かしい憲法改正があり、それによってジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を取り戻せる――安倍政権はそんなムードを醸成しようとしてきました」と分析している。しかし 「なんとなく」進んだとは的を得た表現だ。だが新型コロナの感染拡大による混乱で全てが御破算になってしまった。

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それにしてもこんな時のウィルス流行だ。だから中国共産党政府に対しては陰謀論しか浮かばない。しかしながらモーリー氏は語る。「連立相手は数合わせの宗教政党。グローバリズムの規制緩和に乗り、見せかけの景気回復を実現させるも、実質賃金は上がらず格差は開くばかり。課題に対する本質的な議論は先送り......。そうした矛盾を全部解決してくれる"最後のおまじない"が五輪だったのです」と。更には「今思えば、東京五輪組織委員会の森喜朗会長の「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」というコメントは、日本の保守層の「なんとなくのロマン」を端的に表していたと思います。五輪に限らず、リニア、万博、カジノ......といったものも同じかもしれない」とも語っていた。なので先に上げた「コロナ問題がなければ東京五輪後に見るはずだったものを今、われわれは見ているのかもしれません」との終文が引き立つ。思えば自民党総裁就任前に宣言していた「靖国神社参拝」は総理就任後には1度も果たしてはいない。残念な事だ。

新型コロナ問題と東京五輪延期で見えた「保守ブームの終わり」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8c8ef09865362409fa3657152bc46203cbad19c
日本のマスコミ界に潜む韓国マネー? 「対日世論工作」予算が3・3倍…メディアで「韓国に学べ」と叫ぶ人々の矛盾
http://www.zakzak.co.jp/smp/soc/news/200528/for2005280001-s1.html
フット岩尾、野党の批判内容に「バイキングと一緒」「目立った話題をつっついて」発言で称賛の声
https://npn.co.jp/article/detail/200004458

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これは夕刊フジ系のzakzakの記事だが、政治評論家の室谷克実氏が韓国の駐日大使館の「対日世論工作予算」について言及している。そこで思うのは、日本の法律には工作員(スパイ)を取り締まる法律がない事だ。だから「特定秘密保護法」を決議する時は当事者が大騒ぎになかった。扇動も酷かった。何せ国家機密が入手出ない一般人までもが逮捕されると危機感を煽られた。だが普通に考えても判断がつく法律だ。しかしこの前のハッシュタグ騒動のような状態になった。つまりそんな誤報を流すのも工作員の仕事だ。室谷氏は語る。「韓国の駐日大使館の「対日世論工作予算」が、2020年は前年の3・3倍にも急増したことと無縁だろうか」と。その上で「韓国の情報当局(旧KCIA)は、「反安倍」を対日情報心理戦の最重点課題にしている。日本製品に対する不買運動の標語が一夜にして「NOジャパン」から「NOアベ」に変わったのは、運動そのものが官主導であることを物語る」と。そこでテレビを見よ。完全に国内感覚が狂い、韓国で起きた出来事を、まるで国内での事のように放送する。今でも忘れないのは、朴槿恵氏が出馬した際の韓国大統領選挙。その投票日では、日本の衆議院選挙みたいな扱いで驚いた。日本のテレビ放送が、そんな状態だったのだ。現に記事によると「韓国の南官杓駐日大使が、大幅増になった対日世論工作費に関連して、「日本の世論を主導する財界やマスコミなどを攻略する計画だと述べた」(聯合ニュース19年12月23日)と」。だからこの記事は今更だと思った。与野党には帰化議員も多く、隠さずに反日行動をしている。なのに取り締まる事は出来ない。

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必ず道は開けてくる  独り言



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「行き詰まれば行き詰まるほど必ず道は開けてくるのです」。これはパナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)の創業者である松下幸之助氏の名言。まあ確かにそうなったら、どうにかしたいと思うものだ。さて「新型コロナウィルス」による『緊急事態宣言』だが、北海道も本日(25日)にようやく解除されそうだ。だが正直「この状況で?」との懸念がない訳でもなく、キリの良い処で「今月いっぱいでも、いいんじゃないの?」とも思う。だからこれで身についた習慣は、そのまま続ける予定だ。昨日、フライホイールのゴムベルトが欠損していたカセットデッキ(「TEAC C-3X」)のベルト交換をしたが、動作確認をすると普通に再生も出来て(テープの)巻き取りも問題ないのだが、早送りと巻き戻しが出来ない。回転軸は廻りはするのだが、トルクが弱いようなのだ。そこで次はその原因解明だ。場合によっては「角ベルトも必要なのかな?」とも思うが、まづは調べてからだ。異音はしないので、ゴム部品の磨耗も考えられる。そこで不完全ではあるが、TEACの「C-3X」の音を10年振りに聴いた。その再生音は堂々としており、とても力強い。聴いていて「これがカセットテープの音か?」と思う程の安定感がある。これは地味な機種なれど『稀代の名機』だと勝手に思っている。早く完全復帰をさせたい。嘗てエアチェックに興じていた時代が懐かしい。当時のテープメーカーは良い商品を出していた。

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その(「新型コロナウィルス」による)自粛期間中なのだが、余りにもしょうもない事ばかりが続いた。然も大掛かりな工作染みた出来事が目立ちウンザリである。そもそものつまずきは世界保健機関(WHO)による世界に向けた「緊急事態宣言」の遅れだが、その手の審議を国会でやらなければならない時期の吉野の席からの大向こうや、今更ながらの森友問題まで飛び出し、そんなもので国民に対する休業保証問題等の審議が邪魔された。明らかに特定野党は妨害していた。その最中での政府によるマスクの配布だが、そこで発見された汚れや虫の混入さえ無ければ現在の評価も違っただろう。しかしそれとて左翼の嫌がらせによる自作自演の指摘もあり、中国に工場がある企業側の失態ばかりではないようだ。そんな検証サイトがあったので参考にURLを掲載しておこう。つまり"それもこれも"だが、双方の可能性があるだろう。もしやその時の小泉今日子さん自らのTwitterによる「カビだらけのマスクはその汚らしさを具現化したように見えて仕方がない」との皮肉。それから翌月にハッシュタグ騒動だ。妙な流れだ。その裏には「何かある」と疑った良さそうだ。そこがちょっと気味が悪い。

リベラルこそ「国家」を信頼していたのかも(古市憲寿)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e1cc34c8a3cd94973354404cdebc4aef643dec5
不評に追い討ち?政府配布の布マスクに「汚れ付着」「虫が混入」。自作自演の嫌がらせも含めて調査が必要?
https://jocee.jp/user/oderogu/31a30b93dfa6dfb2b5b3
小泉今日子「カビだらけのマスクはその汚らしさを具現化したよう」
https://www.sanspo.com/geino/amp/20200423/geo20042313070023-a.html

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社会学者の古市憲寿氏も、そんな妙な流れに違和感があったようで、「週刊新潮」の4月23日号に『リベラルこそ「国家」を信頼していたのかも』と掲載した記事がある。そこから共感した事を要約するが、それは自称リベラル(左翼)が晒している矛盾だ。氏曰く「日本の「緊急事態宣言」が個人に対してできるのは自粛要請。しかし主権が部分的に侵害されるのは間違いない。たとえば千葉市長はツイッターで「夜のクラスター発生を防止するべく、県警に対してナイトクラブ等への一斉立ち入りなどの取り締まり強化を要請しています」と述べていた。この発想が一歩進めば、街を出歩く人々に対して警察が活動の「自粛」を求める、といった事態もあり得る」と。正しくそれだが、「筋金入りの国家主義者がこうした統制を歓迎するのは理解可能だ。しかし「安倍総理はヒトラーだ」などと主張し、国家主義を警戒していた人までが「緊急事態宣言」や「ロックダウン」を待望するのはなぜなのか」と。確かに不思議だ。早い話が過剰に左翼は国家に頼り過ぎなのだ。その上で、こう分析している。「一連の騒動でわかったのは、日本はとても戦争など不可能な国であることだ。そして有事においては、大衆よりも政治家が抑制的であること、特に安倍総理は調整型のリーダーであることも確認された。疫病対策という大義名分があり、超法規的措置さえ許されそうな世論の中でも、多くの政治家や官僚は抑制的だった。「戦後民主主義」はしっかりと生きていたのだ」と。小生、左翼に対し、納得がいかない時は「そっくりそのまま、これを中国とか北朝鮮でやってみれ!」と発破をかけるが、そう言う事。「言論の自由」も度が過ぎると犯罪になる。

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