テレビ全盛期の巨星墜つ  訃報



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タイトルを敢えて「巨星墜つ」としたが、然して大袈裟な表現とは思えない人物が逝去した。 それこそが放送作家

でタレント(肩書も多数)の大橋巨泉さんの事なのだが、氏は日本の高度成長期以降の民放局の所謂「テレビの

スタイル」を確立するキッカケになった人物としては大変評価が出来る。 そこで浮かぶのは勿論、日本テレビの

「11PM」 と言う事になろうが、深夜帯のワイドショーとしては、この人の存在あればこそ、確立が出来たと思う。



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その「11PM」のスタートは、1965年11月8日からだが、当初は報道部が最先端の情報番組を目指した為に司会

も当時、週刊読売編集長だった山崎英祐氏に託された。 しかしながら時事問題を深夜に考察する番組は、この

枠にはキツイ硬派なものだった為に翌週から(本人談)構成作家である巨泉氏に司会が依頼をされた。それから

路線も軽くなり、 間もなく報道部も制作から撤退をした為に制作部の担当になった事が更に功を奏したと思う。



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尚、山崎英祐氏の頃のレギュラーとしては元弁士でタレントだった徳川無声氏の朗読のコーナ−もあった。 この

番組の事を思い浮かべながら巨泉氏の追悼文を書くとキリがないが、読売テレビの「大阪11」 の司会を務めた

藤本義一氏も既に亡くなったので、正しく昭和の名番組として、これからも語り継がれるだろう。そこで興味深い

ものは、録画もしていたので今でも観る事は出来るが、DVDに転写して保存までしたものには、1999年(平成11

年)11月11日に放送をされた「11PM 11回忌法要スペシャル」がある。それで逝去のニュースを聞くや、早速追

悼として観たのだが、やはり17年も経過すると、当時に洒落でやった「番組法要」に出ていた歴代の出演者達も

随分と欠けた。病気で没する者、自殺した人、事故で他界した者と現実を見ると本当に悲しい。愛川欽也さんも、



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もう居ない。この特別番組の最後には、巨泉、愛川、藤本の3人がトークし、現在のテレビ番組に対して苦言を呈

していたが、最近の深夜枠は大人が落ち着いて観れる番組も皆無に近い事から、嘗てのこの番組が懐かしくな

る。巨泉氏の思い出を語ると、どうしても「11PM」の話から入らないと始まらない。これぞ大人の番組だ。



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さて「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズは有名だが、テレビ司会者としての巨泉氏は、その番組名を

挙げると枚挙に暇がないが「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」は、残っているものがあれば是非観たい番組だ。 TBS

では、ロート製薬提供の「お笑い頭の体操」や「クイズダービー」もよく観たものだ。「世界まるごとHOWマッチ」で

は、ケント・ギルバート(デリカットさんもレギュラーだったので少しややこしい)さんが名を売るキッカケになった。

それと「ギミア・ぶれいく」も観ていたが、これは途中から企画力が弱くなったのが残念だ。それと再び日本テレビ

の番組では「巨泉のこんなモノいらない!?」が面白かった。「24時間テレビ 「愛は地球を救う」」の初代総合司会も

巨泉氏だった。この番組は、当時人気のピンクレディーが、チャリティー・パーソナリティーを務めて、テーマ曲と

なった「2001年愛の詩」を歌ったのも話題になったが、番組終盤で巨泉氏が、「確かに人々の好意でこれだけの

金額が集まりました。しかしテレビの前の政治家の皆さん、自民党のみなさん。これは本来あなたたちがやらな

ければいけなかったのですよ!」と発言をした事は大いに話題になった。しかしその後には一切この番組に巨泉

氏は関わらなくなったので、それこそ「色々とあったんだろうな?」と思った。それから2001年に、当時民主党幹事

長である菅直人が出馬を依頼した事から、最大野党(当時は)民主党から第19回参議院議員選挙の比例代表

候補として立候補し、当選をした訳だが、その直後にアメリカ同時多発テロ事件が起きた。そこで議論されたの



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が「安全保障問題」だった。 然もアメリカ同時多発テロ事件を非難する国会決議には「アメリカを支持する」 との

文言を理由に民主党でただ1人反対をした上にインド洋への自衛隊派遣に伴う事後承認にも反対。つまり入党

早々から「造反」を連発した訳で、此処にも氏ならではの反骨精神が表れている。そんな事を繰り返していたのも

あってか、同年8月6日の民主党両院総会では、当時の鳩山代表に「社会主義インターナショナルに加盟しセン

ターレフト(中道左派)の党としての性格を鮮明にせよ」と迫った。だが「民主党のコンセンサスではない」と却下さ

れた。これが半年で辞職をする原因だったのだが、やはりこれが痛かったと思う。だからそれを理由に巨泉氏の

政治家としての評価が低いのだ。これでは中途半端な印象しか残るまい。しかし自分には正直な人だった。



大橋巨泉さん死去 魅力引き出す「上から目線」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160721-00000106-san-ent
【24時間テレビ 愛は地球を救う】アクシデント・事故の歴史 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140941280365647901?page=2
さよなら「VHS」ビデオデッキ “最後”の船井電機7月で生産終了
http://www.sankei.com/west/news/160715/wst1607150113-n1.html



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前半、巨泉氏の記事に費やしたので、その関連だ。船井電機は15日に7月末に子会社ブランドのVHSビデオ

デッキ生産を終了する事を明らかにした。それで「これが関連?」と不思議な人も居るだろうが、ビデオデッキも

テレビの黄金時代を語るには不可欠なものだ。それだけ録画をしたいと思う番組が嘗ては目白押しだったのだ

が、確かに現在の地上波はつまらない。それはいつの間にかBSでは娯楽、地上波ではプロパガンダが当たり

前になってしまったのが原因だろう。「β、VHS論争」も今となっては懐かしいが、既に磁気媒体もテープの時代

ではない事から、部品メーカーの撤退も続き、DVDが主流になれば、当然世界でも需要はない。それでも船井と

しては修理は継続するそうだ。さて船井電機と言えば昭和58(1983)年からビデオデッキを販売しており、ピーク

時には、年間1500万台以上を販売した実績がある。それが、DVDの普及により販売台数は減少の一途を辿る

のだから時代は変わるものだ。ちなみに昨年は75万台まで下がった。小生も撮り溜めたビデオテープは大量に

あるので、それをデジタルに置き換える転写作業をしているのだが、これからは、その作業の度にアナログ・ビデ

オの供養でもしているような気持でやっていこう。 これも「時代が終わった」と言う言葉で全てが語れるだろう。



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タグ: 大橋巨泉

「李香蘭」逝去  訃報


山口淑子さんが亡くなった。彼女は戦前・戦中に「李香蘭」の名で活躍をした女優さんだ。特に東宝映

画が提携していた「満州映画」での一連作品では、相手役の長谷川一夫さんとの共演が話題となった。

山口淑子(本名大鷹淑子)さんは、7日の午前10時42分、心不全の為に東京都内の自宅で亡くなった。

享年は、94歳で大往生である。葬儀は近親者で済ませている。此処で略歴だが、出身は、中国東北部

つまり旧満州である。父親が南満州鉄道(満鉄)に勤務をしていた関係で中国で育つ。1938年に満州

映画協会の映画「蜜月快車」の主演でデビュー。中国人向けに映画を作っていた同社の方針で中国人

「李香蘭」として映画に出演し、故長谷川一夫さんと共演した「支那の夜」等、数々の作品がある。歌手

としても知られおり、代表曲に「蘇州夜曲」「夜来香」等がある。尚戦後は「山口淑子」として舞台や映画

で活躍をして、「暁の脱走」(谷口千吉監督)、「醜聞(スキャンダル)」(黒澤明監督)、「白夫人の妖恋」

(豊田四郎監督)等の話題作に出演した。51年には彫刻家のイサム・ノグチさんと結婚して話題になっ

たが、その後離婚している。再婚後は、一時芸能界から引退した時期がある。テレビのワイドショーの

「3時のあなた」の司会としても知られてるが、これで復帰している。尚政界には、74年、自民党の公認

候補として参院議員全国区で当選した。92年には引退したが、その間、3回の当選を重ねている。在職

時には「環境政務次官」も歴任しているが退官後は、それと言った話題もなかった。静かに余生を過ご

されたのだろうか?戦後の動乱期には、中国当局に中国人なのに日本に協力をしたと言う事でスパイ

容疑が掛けられ、沫や死刑となる寸前に容疑が晴れたと言う事もあった。正に中国と日本の狭間に揺

れた人生だった。正しく彼女の一生は、波瀾万丈で複雑なものだった。これは文章では表現し切れない。



山口淑子さん死去=女優「李香蘭」、政治家として活躍―94歳
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00000021-jij-soci



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 先日、1956年に香港のショウ・ブラザースと東宝映画が提携をした「白夫人の妖恋」と言う映画を観た

のだが、妖艶で美しく、相手役の池部良の演技も清々しい良い作品だった。これは東宝映画の総天然色

初期のものだが、発色も鮮やかで、円谷英治の特撮も素晴らしかった。豊田四郎監督の演出も冴え渡り、

導師役の東野英治郎の灰汁の強い演技も良かった。私見では、これを山口淑子さんの代表作としたい。

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涙の太陽と理想の父親像  訃報


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当日に取り上げず今更ながらとは言え、やはり残念なので記事にするが、有名人の相次ぐ訃報と言う

ものは、その時代を体感した世代こそ、残念に思うのかも知れない。そんな前置きをするのも、自身も

世代を感じるからだが「宇津井健」さんの訃報の直後にまさか「安西マリア」さんまで逝ってしまうとは

思いもよらなかった。今回ばかりは、本当に驚愕してしまったのだ。宇津井健さんは肺の病気だった。

安西マリアさんは、脳梗塞らしいが還暦とは、まだ若い。さて宇津井健さんと言えば「理想の父親」の

代表的な俳優としても評価が在ったが、それは一連の「赤いシリーズ」で得たものだろう。そして器用

な人でも在った。50歳でクラシック・バレエを習ったのも知られているのだが、「嗚呼、あの番組か?」

と即座に浮かぶ名場面は、その努力在ってこそだと思う。警察よりも活躍する「ザ・ガードマン」も懐か

しい。それと現在ではカルト扱いだが、日本版スーパーマンとして知られる「スーパー・ジャイアンツ」

も意外と面白い。因にその頃の映画では相撲取り役を演じるのに体型管理までした逸話も在る位だ。


それと安西マリアさんの訃報も脳梗塞で昏睡状態になった末の事とは言え残念だ。当時はイケイケ系

のイメージも強かったのだが、エミー・ジャクソンのカバー曲である「涙の太陽」も世代によっては彼女の

印象が強いだろう。こんな逆転現象も彼女ならではである。バブル期には「田中美奈子」さんがカバー

をしていた。人には誰しも全盛期は在るものだ。しかし派手な印象の在る彼女も私生活では苦労をして

いたようだ。それが病気の原因にも繋がったとも考えられて残念な事である。御冥福を御祈りしよう。



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【訃報】俳優の宇津井健さんが呼吸不全で死去 / 享年82歳
http://rocketnews24.com/2014/03/14/423287/
訃報:安西マリアさん60歳=歌手、女優
http://mainichi.jp/select/news/20140317k0000m060038000c.html

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