※ネタバレ注意
今日は「沈黙―サイレンス―」を観て来ました。
遠藤周作の「沈黙」を巨匠マーティン・スコセッシが映画化した話題作。
17世紀の長崎を舞台に、キリスト教弾圧下の日本へ飛び込んだ若きポルトガル宣教師が過酷な現実を前にして信仰への意味を自ら問いただしていくストーリー。
1988年にカトリックの司祭から原作本をプレゼントされ、それを読んだスコセッシ監督が映画化を構想。
28年かけてようやく完成させたのが本作。
“信仰とは?”がテーマになっていますが、本作の本質はスコセッシ監督が昔から「タクシー・ドライバー」や「ミーン・ストリート」、その他多くのスコセッシ監督の作品で描いている“倫理の混乱”だと思います。
スコセッシ監督は厳格なカトリック教徒の家庭で育ち、自身が生活していく中で信仰への疑問をずっと感じていたんだとか。
たとえば「タクシー・ドライバー」では身勝手な正義心から政治家の暗殺しようとし、失敗。
そのあげく街のポン引きを殺してヒーローになるという正義と悪の混濁し社会から外れてしまった人間が主人公。
この倫理の混乱はカトリックの教義の影響がベースだとスコセッシ監督は語っています。
そんな熱心なカトリック教徒のスコセッシ監督が宗教を直接的に描いた作品はキリストの苦悩を描いた「最後の誘惑」とダライ・ラマの半生を描いた「クンドゥン」の2本しかなく、本作で3作品目。
本作で描かれている主人公は自らの存在、信仰、教会への忠誠心と犠牲者が増え続ける現実の間で苦悩し続けます。
イッセー尾形演じる井上筑後守が「神を信じることは人を救うことか?この弾圧による犠牲者を見過ごすことの方が神を裏切る行為なのではないか?」と宣教師ロドリゴに語ります。
この倫理の混乱が“宗教”よりも最大のテーマだと思います。
そんなスコセッシ監督はインタビューで「私はジョージ・ハリスンのドキュメント映画を作りましたが、本作はある意味で同じ物語だといえます」
「ジョージも物欲的な世の中で精神的なものを見出だそうとした人でした。だからこそこのテーマは深く探求していかなければならないのではないでしょうか。」と語っていました。
その他にも日本人キャストや日本描写も素晴らしかった!(特に塚本晋也!この人もう監督しなくていぃよ。上手いよ。)
渡辺謙の降板やスタッフがセットの下敷きにより亡くなったりとなかなかな難産だったようですが、スコセッシ監督らしいテーマの作品でした。
ちなみにキリスト教の前に日本は仏教による弾圧がありました。(日本は神道だから)
鎖国をしたことで植民地支配からも逃れてきました。
「火の鳥」でも語られていたように宗教は人が作ったもの。
本作はキリスト教とは?とか信仰心とは?が決してメインテーマではないということを踏まえて観てもらいたい作品です。