お互いが憎悪し合っていながら、それでも相手なしではいられない。  社会・政治







「『お互いが憎悪し合っていながら、それでも相手なしではいられない』と言うのは、とかく言われるように最も真実な関係とか、最も刺激的な関係では決してない。あらゆる人間関係のうち、最もみじめな関係である」。と言ったのはフランスの哲学者であるシモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール女史だ。確かにそれは言えてる。憎しみ合うのも相手が必要だ。こんな事から書き出すと「嗚呼またアレかい?」てなものだが、それはさておき結局、大腸検査前の食べ納めとして、うな丼を食べた。それが良かった。そしてその後に夜食として食べようとカツドックを買っていたが、うなぎに満足してしまい、そのまま寝てしまった。そんなものである。昨日はこんな感じだ。blogの更新時、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「バラの騎士」を聴いていたが、この楽劇には男装の麗人が出てくる。「なんか聞いたような設定だな?」と思えば「リボンの騎士」や「ベルサイユの薔薇」の元ネタのようなものでもある。と言うのも、手塚治虫はその楽劇が頭にあったとしか思えないからだ。その下地は宝塚少女歌劇団のレヴューだろうが、日本で「バラの騎士」が完全な形で初演されたのが、1956年なので色々な要素もあるだろう。しかし本作品の初演が、1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場とあっては"風の噂"でもないが、コアなペラゴロ(浅草オペラファン)やスタッフ達も文献等で当然知っていただろうし、そのバラの騎士自体もモーツァルト歌劇(フィガロの結婚)の模倣なので割と日本にもイメージならば浸透もしやすかったと思う。完全上演が戦後になったのは寧ろ演奏技術上の問題だった。だから俄な上演は全くない訳でもなかろう。その辺が下地にあると思う。ちなみに宝塚少女歌劇団が演目として取り上げたのが、2001年だ。これこそ先祖帰りと言えるだろう。前書きが意外な展開になってしまった。さてボーヴォワール女史の名言に引っ掛けた話題だが、産経ニュースによると「衆参それぞれの野党第一会派である立憲民主党と国民民主党の路線対立が臨界点に達しようとしている」との事。それは「どう言う事?」だが、続けると「立憲民主党が28日、参院厚生労働委員会での働き方改革関連法案の採決をめぐり、国民民主党抜きで島村大委員長(自民党)の解任決議案提出に踏み切った。野党第一会派以外が主導する委員長解任決議案提出は極めて異例で、立憲民主党の根強い不信感が一気に表面化した」と言う事だ。そこで「何故仲違い?」だが、安倍総理曰く「党首討論の歴史的使命は終わってしまった」と立憲民主党の枝野幸男代表に苦言を呈した反面、久々に党首討論らしい討論をした国民民主党の玉木雄一郎共同代表とは、明確な格差がついたようだ。その点は記事でも「立憲民主党の蓮舫参院幹事長は解任決議案提出後、記者団にこう強調した。共同提出に共産党と自由、社民両党の参院会派「希望の会」も加わり、国会対応で足並みをそろえることが多い主要野党では国民民主党だけが外れた」とある。しかし伏線もあり、22日に枝野代表は国民民主党の大塚耕平共同代表に電話を掛けた際、「あまり勝手なことをやるなら、こっちも勝手にやらせてもらいますよ」なんて告げたそうだから(なんか見てきたような記事?)、国民民主党としては、やはり特定野党扱いをされるのを避けたい意図があるのだろう。マトモな野党扱いをされたいのは理解が出来る。そりゃそうだ。



最近の枝野代表は、見たまま暴走しているが、国民民主党があれだけ立派な党首討論をしたのだから、此方も負けじと思い、更に上を目指すのが"粋な計らい"と言うものだろう。だが枝野幸男氏が立憲民主党の代表として務めた27日の党首討論は酷かった。そこでNHKニュースによると「自民党の派閥の会合では、本来の趣旨とかけ離れた内容だったなどと立憲民主党の枝野代表への批判が相次ぎ、討論の在り方や運用の見直しを求める意見が出されました」。との事だが当然の反応だろう。それで逢沢元国会対策委員長、麻生副総理兼財務大臣、岸田政務調査会長それぞれの意見だが、逢沢氏は「野党第1党の党首が、いわゆるスキャンダルの追及に終始している姿はいかがなものか。討論が国民の期待に応えられているか、問題意識を持たなくてはならない」と指摘し、麻生氏に至っては「あれは討論ではなく演説というのではないか。党首討論はもともとイギリスのような2大政党を想定してスタートしたものであり、名前が変わる政党がいっぱいある今、在り方を考えなければならない」と、やはり疑問を感じ、岸田氏は「党首討論はそれぞれの党首が天下国家や基本的な内外の政策について骨太の議論を戦わすというのが本来の趣旨であり、質問する側も答える側も趣旨に沿うような議論をしなければならない。討論の意味を高める努力が必要だ」と枝野氏の方向性に不信感を覚えたようだ。しかしながら石破茂氏は少し違うようで「党首討論が歴史的役割を終えたとは思っていないが、国家の基本政策をあんなに短い時間で議論できるはずがなく、回数を増やすなどの改善や、みんなが見られる時間に開催するなどの工夫も必要だ。国民が聞きたいと思うことに応えるのが党首討論の役割であり、どうやってよりよいものするかが大事だ」と意見した。だが「国家の基本政策は、常に頭にあるのが政党ではないのか?」とも思うのだが如何なものだろうか?と言うのも、それ即ち「政策」であるからだ。この人が、まるで野党の言い訳みたいな事を言うとは思わなかった。



立憲民主党、国民民主党への怒り頂点に…最終攻防を前に足並みの乱れ修復できず
http://www.sankei.com/smp/politics/news/180628/plt1806280010-s1.html
党首討論の在り方や運用 見直し論相次ぐ 自民
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180628/k10011498871000.html



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