幸せになりたかったら  独り言



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「幸せになりたかったら、幸せだなと思いながら生きていればいい。性格も実力も経験も関係なし」。これは書道家の武田双雲(本名:武田 大智、1975年6月9日 - )氏の名言。結局、物事なんぞ気分次第だ。今日は休みだが、朝からしている事と言えば、この前の日にネジ穴が破損したボリュームのツマミを修理を前提に取り敢えず、その穴を広げただけだ。実はその作業の途中で「アッチャー」とあわや「失敗か?」と思た事のだが、「じゃあ、ダイスでも買ってきてネジ穴を切ろう」と思った。そこでこの件は解決したのだが、穴の形が悪いので、金属用のパテでも埋めて補修しよう。その後はダイスでネジの溝堀でもしよう。そんな作業だが、ダイスなんぞは、こんな事が無いと、家では使う機会も無い。病院に行くので、その用事が終わったら、ジョイフルAKにでも「行こうかな?」と思っていういる。それでダイスだが、値段を調べてみたら12000円程だ。勿論、それもピンキリだが、今後、使う機会も増えるだろうからセットで買っておこう。(※ 結局、揃えたのは、必要な大きさのダイスのみで、2500円だった。)Technicsのカセットデッキの修理は、急がず焦らずである。あちらこちらが傷だらけなので、研磨をして整えよう。塗装部分の錆は落としたら再塗装だ。今日はヘッド周りの清掃でもしよう。汚れや埃で傷だか何だか解らない状態になっている。

上島竜兵さん急死 61歳 お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」で人気
https://news.yahoo.co.jp/articles/022ae73107f1513fe1fd5337f5690c4fbec5debf

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さて朝のテレビでびっくりしたのが「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんの急死の速報。享年は61歳だった。後から解ったのが自殺だったと言う事。この前に俳優の渡辺裕之さんの訃報があったばかりなので、それに感化されたのだろうか?こればかりは当人しか解らない。此処で「ダチョウ倶楽部」の来歴だが、Wikipediaによると、リーダーの「肥後は商業デザイナーから転身してコメディアンの杉兵助に弟子入りし、渋谷道頓堀劇場にてお笑い芸人として活動しており、ジモンと上島は劇団テアトル・エコー附属養成所に所属する役者志望だった」との事。ちなみに「彼らが知り合ったのはテアトル・エコーの先輩・渡辺正行の紹介である」。それから「3人はコント赤信号の劇団員として活動後、多人数のコントグループ「キムチ倶楽部」として活動」をしていた。尚、名称にある「「俱楽部」は当時流行っていたおニャン子クラブになぞらえたものである」との事。その辺は時代を感じ、とても懐かしい。「キムチ倶楽部には20〜30人のメンバーがおり俳優の近藤芳正なども在籍していた」。そこで「ダチョウ倶楽部」となった経緯だが、「当時、渡辺正行が立ち上げた第1回のラ・ママ新人コント大会に出場する事になっていたがすっかり忘れており、直前に連絡のついた現メンバー3人と南部寅太(現:南部虎弾)で参加する事になった。それが成功した事でそのメンバーでの活動が増え、改めて4人で「ダチョウ倶楽部」(諸事情によりキムチ俱楽部から改称)を結成した」とある。註釈としては「初代リーダーは南部だったが、1987年に彼が脱退して電撃ネットワークを結成したため3人編成となる」。とあるのだが、そのリーダーが南部寅太さんの時代を知っている人は、途中から南部さんが抜けて「電撃ネットワーク」へと袂を分けた後に、テレビ番組で、その事情を知っている司会者が(番組のゲストが)「ダチョウ倶楽部」の時は、電撃ネットワークの決めポーズをしたり、「電撃ネットワーク」の場合にダチョウ倶楽部の決めポーズをした時に互いの様子を見ていたが、互いに「いやいや」と苦笑いをしていたのを思い出される人も居るかも知れない。電撃ネットワークは、病気でメンバーが欠け、ダチョウ倶楽部は上島さんの自殺でメンバーが欠けたのは残念でならない。

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