線路端のブログ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

 

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投稿者:senrobata
らすかるさん
 戴いたコメントを拝読しながら、あらためて当時の世相を思い出しています。あの頃のことは昨日のことのように思っているので、らすかるさんのように分析が出来ていません。(笑)
 蚕棚・・・、懐かしい響きですね。私の母の実家でも養蚕をしていましたから、座敷一間に蚕棚が埋め尽くされている様子を何度か見ております。まるで雨音のようなシャワシャワと蚕が桑の葉を食べる音には子供心に不気味でした。
 国鉄時代という言葉については、私は国鉄時代の車両・列車への感傷と割り切っています。仰るような国鉄の経営、旅客サービス、労働組合の所業等、「国鉄時代」の負の部分があったのも事実ですね。当時の世相と言ってしまえばそれまでですが、瀕死の国鉄にあって、JR化は必然だったのでしょうね。

 

投稿者:らすかる
こんにちは。
一連の旧型国電ものと、品川の昼下がりシリーズを拝見しながら、遠い昔に想いを馳せてみました。

私がはじめて上京したのは1980年の秋、小学校に入った年でした。初の衆参ダブル選と、そのさなかの大平首相の急死が、いまも心に焼きついています。

東京では最初に銀座線で浅草まで行きました。まだ吊り掛け車を編成に挟んだ旧型車の時代でしたし、浅草駅出入り口の蛇の彫刻に、歴史を感じたことを覚えています。

山手線、京浜東北線とも103系に統一され、さすが東京は近代的だなあ、と思っていました。
それがあの当時に、こんな旧型の機関車が都心にたむろしていたとは!EF58ぐらいしか見たことのなかった私には、びっくりを通り越して衝撃ですらあります。

いかにも「機械」という形容がぴったりの旧型電機たち。そしてそれを「操縦」する機関士たちの職人技。無論乗務員室に冷房などあるはずもなく、夏はブロワーから放出される抵抗器熱に汗だくになりながら安全運転に努めていたのでしょうね。

そしてこの写真。20系の急行「銀河」。これなら私も知っています。かつての「走るホテル」も今や「カイコ棚」。特急からはほぼ退き、急行専用に身を落とした中でも、絵入りテールマークの「銀河」はやはり日本の2大都市を結ぶだけに特別な存在なのですね。私の地元でも20系が急行「ちくま」に使用されていましたが、格段の差を感じていました。

ちなみに、この「カイコ棚」という言い方、父の実家が養蚕農家を兼ねていた私にはいささか不愉快でした。今はもうどうでもよくなってしまいましたが。

今となっては懐かしい日々ではありますが、国鉄はもはや破綻状態、卑近なところではトイレが垂れ流し式で、木曽福島機関区にも「タレ流し反対」の看板やポスターが出ていたことも思うと、一概に国鉄時代を「礼賛」することも出来ない私です。(トイレの「停車中は使用しないで下さい」の上に「使用中は停車しないで下さい」という落書きがあったという話を聞いたことがありますが、今の若い人には分からないギャグですね。)

最後のほう、愚痴っぽくなってしまって申し訳ありません。
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